03/11

2014

「東日本大震災から3年・・・合掌。」


今日、あの東日本大震災から3年を迎えました。
改めて、同震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。参議院予算委員会や民主党外務・防衛部門会議は、ともに黙とうから始めました。

今朝は目覚めてすぐに、3年前、官房副長官として委員会準備のために朝6時前後に首相公邸に入ることから始まった、あの長い一日を思い起こしていました。
14時46分、官邸の執務室で強い揺れを感じた瞬間。危機管理センターの騒然とした状況。
16時前、「福島第一原発、電源機能喪失、冷却機能停止!」との第一報がマイクを通じて危機管理センターにもたらされた瞬間。(おそらく生涯忘れることができないと思います。)
夕方、帰宅困難者対策、福島第一原発への電源車の手配に走り回っていたこと。東電、官邸入り・・・。
日が変わって、夜中の1時、オバマ大統領との首脳会談、その後、ベントの意思決定。
3時、ベントの記者会見。
明け方5時44分、10km圏内避難指示、その後の水素爆発等々。
3年経過したとは思えないほど鮮明に記憶に残っています。

この日以降、どれほどの人々が恐怖と不安の中で過ごされたことか、言葉もありません。その後の過酷な状況はご案内の通りです。
未だに避難生活をされている方々は26万人にも及びます。

昨日、事故当初ともに対応にあたっていただいた福島県の何人かの方々に感謝とご慰労を申し上げました。
毎年3月には、福島を訪問しています。今年は予算委員のために国会を離れられないので、4月以降、福島県庁や飯舘村、川俣町、仮設住宅等々を訪れるつもりです。

最近のエネルギー基本計画、汚染水対策、再稼働、避難計画等の議論を聞いていると、やや危機感、リアリティに欠けているように思えてなりません。
今も、事故当初の様子を伝えてほしいという取材や講演の依頼を受けます。
我々の政権の至らなかったことも含め、震災・原発事故の当時の様子を伝えていくことが、自分なりの役割だと考えています。福島だけでなく、宮城、岩手も含めて、被災地の長い闘いはまだまだ続いています。