第147国会 参議院
共生社会に関する調査会 2000年3月1日
○福山哲郎君 民主党・新緑風会の福山哲郎でございます。
きょうは、五十嵐参考人並びに岡澤参考人におかれましては、大変お忙しいところ貴重なお時間をいただきましてありがとうございました。
また、私ごとでございますが、私は京都が選挙区でございまして、スウェーデンで岡澤先生に御指導いただきながら学んできた山井和則君は私の仲間でございまして、今一生懸命京都で福祉の問題を含めて山井君と頑張っておりまして、きょうこのような場で岡澤先生のお話を伺えて大変光栄に思っております。よろしくお願い申し上げます。
まず第一点、大変興味深いお話をたくさんいただいたんですが、きょうは政策決定過程への女性の参画というお話で、岡澤先生からは二十七のマトリックスの御提示がありました。これを多分女性それぞれにどのぐらい参加をしているのかというのは大変おもしろい分析ができるなというふうに非常に興味深くお伺いしたんですが、後の議論は、五十嵐先生も岡澤先生も含めて、ある意味で言うと政治の場への進出というふうにきょうは収れんをされていったのではないかというふうに承っておりまして、その点についてまず両参考人にお伺いをしたいんですが、私は、政治の場への参加ということに関して言いますと、女性に限られた話ではないのではないかということを問題意識として持っています。
日本の特に地方議会における恐らくジェンダーバランス、これは性別もそうですが、職業もそうですが、それから世代もそうです。これは非常に実は偏っているような気がしておりまして、それこそ五十嵐先生の言われたインタレストポリティックスがまだ残っていることの大いなる証左なんでしょうが、私はこれは女性に限らないだろうと。その阻害要因というのは、実は女性に対しての阻害要因、例えば家父長制度みたいな話は多分女性に特化した要因だと思いますが、事政治参加ということに関して言うと、私は根元的にこの国の地方に対する政治参加については非常に偏っていて、ここが問題だと思っています。
サラリーマンの地方議会の参加というのは、これは物理的に今は不可能な状況になっています。そうでなければ労働組合というある利益団体の代表としてしか参加できない。
また、年代別に言うと、私は年代の高い政治家が悪いと言うわけでは毛頭ないんですが、若い人の参加は全くないに等しい。先ほどの十八歳の高校生が議会に出ているなんというのは日本にとっては考えられない話でございまして、二十歳代で議会に立候補するなんというとほとんどひよっこ扱いされるという状況の中で、確かに国政は非常に政党の色合いが議院内閣制ですから強いわけですが、地方議会というのはある意味でいうと広範な市民の合意形成をし、チェックをする場だとすると、そこに対して私は非常に改革をしていかなければいけないという問題意識を持っておりまして、今の女性の問題とあわせて、その辺についての問題意識をどうお感じになられているか両参考人にまずお伺いをしたいと思います。
○参考人(岡澤憲芙君) 日本の制度と北欧、特にスウェーデンの制度で決定的な違いというのが、国、県、市町村議会に押しなべて非常に男性支配の傾向が日本は強いということ、そして高齢者支配の傾向が強い、これが決定的な違いだと思います。
北欧は、どちらかといえば六十五歳以上の議員はまずほとんどいなくなる。それは何かというと、自分たちがつくった年金制度というのはある程度自慢できるものだということで、どちらかというと年金年齢になることを非常に楽しみにして人生を送っている人が多うございますので、六十五歳になると、もう七十になるとほとんど政界から引退されるというのが現実になっています。
そして、組閣をするときも大体二十代、三十代、四十代で半数、六十代も少しいるんですが、五十代、六十代で半数というぐらいの比率でありまして、世代間のバランスは非常によくとっています。これは何かというと、やはり少子高齢化が進んで負担がふえていますけれども、負担というのはどうしても世代間でつないでいくという、例えば年金なんか完全にそうですね、世代間で連帯していかないと年金資金ができない。そうすると、どうしても年金を受ける側により近い人たちが過剰に支配していると年金の供給源になる層の意見がなかなか通らない。そうすると、世代間連帯ができないと年金制度なんか維持できなくなるという可能性があります。
そういうふうな高負担社会というのは、やっぱりそういう意味では世代間で負担とサービスをどう分け合うかという連帯感をつくっていかないと、間接税だけで二五%の国というのはもたないわけです。その意味では、世代間バランスをとっていこうということと、世代間で連帯をつくるためには議会構成はどうした方がいいのかという発想をやっぱりそれぞれの政党が考えているんです。
それと、もう一つは女性の問題なんですが、やっぱり平均寿命が長い分だけ総人口でも有権者でも女性の方が過半数の国なんですから、とすると、女性が意思決定過程にいたから政治がいいとか悪いとかということではなくて、そこで決まった決定に対する有権者の納得度は高くなるだろうという発想なんです。だから、女性議員がふえたから一気に何々がなくなるとかということではない、それほどはないんです。ただ言えるのは、福祉であるとか女性環境であるとか環境問題に対する関心は非常に高くなるという特徴はありますけれども、基本的に大きく変わるわけではない。
ただ、そういう意思決定のメカニズムで決まったものに対する有権者の納得度が高くなる。その有権者に対する納得度が高くなければ少子高齢化の負担社会に耐えられないんです。結局、ポイントはそこだと思うんです、北欧の政党政治を見るときには。どうしたら有権者が意思決定に対して納得してくれるだろうか。つまり、意思決定のメカニズムにどう参加型デモクラシーの要素を入れていくのかということに非常に苦労をしている。
それの具体的な例が、先ほど四ページに挙げておきましたけれども、選挙権年齢を十八歳にし、被選挙権年齢を十八歳にし、郵便投票制度を導入し、投票期間を長期設定し、在外選挙権を導入するという形で、意思さえあればこの地球社会のどこに住んでも参加できるんだというメカニズムがそこでできた決定に対して納得度を高めている。
そういう意味で、今御指摘がありましたように、男女間の連帯であるとか世代間の連帯というのは、そういうふうに議会の持つ決定の説得力を拡大するために非常にそれぞれの政党が工夫して考えていると考えていいかと思います。
○参考人(五十嵐暁郎君) さっき、末広議員の選挙制度についてのお答えの中で少し漏らしたことがありました。それは、地方議会、特に市議会議員選挙は大選挙区です。全市一区で選挙をやります。だから、女性の当選率も高まるというところはあるんだと思います。
今の御質問ですけれども、いろんな複雑な問題があって、確かに私は、地方議会がある意味で、端的に言えば住民の意思を代表するものになっていないという感じは切実にするんです。例えば、住民投票の動きがこれだけ激しくて、しかもそれが次々に否決されていく。死屍累々たる請求否決です。これも住民とそれから議会との乖離、ギャップの大きさの一つのあらわれです。
どういうところからそういうことが生じるのかというと、先ほども少し触れたんですけれども、議員で生活するということはなかなか難しい。それは、選挙が民主主義を保障するためにあるわけですから、それもまず一つのネックです。
私は、政治学科で教えていて、学生が政治家になりたいと言うと、ちょっと待ってくれというふうに、婚約者なんか連れてこられると、それで本当にいいのかというふうに思わず言ってしまうんですけれども、やっぱり職業としての政治というのはリスクを伴うものだということがあります。それを補って政治家になられるというのは、一種の政治的な情熱の問題、使命感の問題だというふうに思って、それは社会的に見れば敬意を表さなければいけないところだというふうに思います。
もう一方では、特に地方議会のレベルになると、たとえ当選してもそれだけでは生活できない報酬になっているということなんです。例えば五十万都市の市議会議員の報酬を見ても、やっぱり聞いてみると、その年齢にしてみると、いろんな年齢があるかもしれませんが、それだけで一家を養っていくには苦しいんです。もちろん選挙も待っているということなんです。
それで、どうすればいいのか。いろんな方法があるわけですけれども、議員の数を減らす、そして報酬を多くするというのも一方ではあるんです。むしろこの方が大勢を占めている流れかもしれないんですけれども、私は逆なんじゃないかなというふうに思うんです。そうなっていくと、やっぱり女性議員は減るというふうに思います。
そうではなくて、議員の数をふやしちゃえというふうに思うんです。これだけ社会の意見や利害関係というものが多様化したら、もっとふやしちゃう。そのかわり、もちろん報酬は減ると。それで、さっき言いましたように、それを主たる収入源としなくてもいいように、夜間、週末に持っていったらいいということなんです。企業とか、非常に近代的、合理的な組織で働いている人であれば、そういう限られた時間の中で十分やっていけるはずだというふうに思うんです。
そういうふうに開放して、収入でいえばある意味では副業的なものとして位置づけられるような、そういう働き方のスタイルにすればいろんな人が入ってこられる。いろんな人というよりも、住民の構成を忠実に反映した議会というものが生まれるんだというふうに思うんです。これが日本政治の一つのポイントだというふうに思うんです。これは地方レベルだけにとどまる問題ではなくて、国会議員選挙についてもこれが一つの土台になって選挙をやるわけですから、この影響というのは地方だけにとどまるものではないというふうに思います。
○参考人(岡澤憲芙君) レジュメの四ページをちょっとあけていただきたいんですが、今の五十嵐さんのコメントに対してちょっと違う、逆の発想なんです。
実は、スウェーデンで女性が意思決定過程に参加した理由の数多くある変数の一つに政治がペイしないということを挙げました。これは、そこに政治家の歳費、首相の歳費から国会議員、大臣、知事、市長と全部年収を書いておきましたけれども、それプラス注意しないといけないのは、地方議員はその日の日当と通勤費だけなんです、原則として。そして、フルタイムの政治家になると丸々政治家としての歳費はもらえるんですが、その人たちはごく少数で、圧倒的多数は兼業をしながら、ある意味でパートタイムで社会に対する参加意欲で参加している。その人たちには日当と通勤費ぐらいしか出ないという現実があります。これが大きな特徴です。
その政治家を経験しながら、自分はフルタイムの政治家になっていこうとする人は政治家の道を選ぶでしょうし、例えば、先ほど紹介しました十八歳の女子高校生が地方議員をやっていたことがあるんですが、その人は高校に通いながら市会議員もやっていて、その日の日当だけはもらうという形をとる。そして、フルタイムの政治家になるかどうかはまたその後の判断で考えていけばいいという形です。
逆に言うと、そうすると、政治というものを一つのビジネスとして考えてきた多くの人たちは、余り魅力的なビジネスではないなということで出ていく。そして、その部分に女性が非常にたくさん参加していったという要素もやっぱり否定できないと思います。だから、日本の国、県、市町村の歳費の問題と北欧型の歳費の問題はちょっと違って、スウェーデンでは地方議員は基本的には兼業をベースにしたパートタイム業である。そのために、参加しやすいようにウイークエンドとか夕方に体育館で開きましょう、そしてそれに市民が参加できるようになっていくという形です。その辺はちょっとつけ加えておければと思います。
○福山哲郎君 ありがとうございます。
今の話に関係するんですけれども、先ほど女性が政治のキャリアに歩むような学科選択をしないというお話がありました。私は政治教育という言葉は余り好きじゃなくて、どちらかというと民主主義教育という言葉を使いたいなというふうに思っているんですが、要は、日本の場合には余り民主主義の教育が行われていないし、そういう現場を見せる機会もない。それが二十歳になっていきなり投票して合理的な判断で自分が選びなさいみたいに言われても、その判断をする基準も尺度も与えられていない。ましてや、被選挙権があるからといって、いきなり自分が議会に出ていくということは、それは二十歳でもらって二十五までの五年間に急激に養成されるようなことというのは僕はよっぽどでない限りないというふうに思っておりまして、それが今の話にずっとつながってくると思っていまして、岡澤先生の、県議会が例えば健康と医療等のものをやる、そこからすそ野が広がったと。
今の日本の市民が各市議会、県議会でどんな議論がされているか本当にどのぐらいのことを知っているか、もしくは関心があるかというと、大変私は疑問だというふうに思っております。そういう点で、スウェーデンでどのような形の政治教育が子供のころから行われているかというのを簡単にお答えいただきたいのが一点。
もう一点、スウェーデンに関して言いますと、私はやはりイメージとしては大きい政府の国だと思っておるわけです。パブリックセクターに女性の進出が大きいというのは、ある意味でいうと制度上の確保がされているからだと。パブリックセクターの労働者の層が厚いわけですから、女性の進出ができる。女性がパブリックセクターに多ければ多いほど、それを監視するための議会に女性が私も監視に行こうというのはこれは非常に出ていきやすい状況になっているのではないかなというのを私はお話を伺って感じたわけです。
日本の場合には、役所の組織もほとんど男ばかりです。その状況で、じゃそれを監視する役割としての議会に、それがどんな大きい小さいを含めても、じゃ女性が行こうかというなかなかそこはモチベーションが上がらない。それは、スウェーデンの政府の大きさのあり方、そのパブリックセクターが大きいからこそ逆に女性を雇用として抱えられるスタンス、それが制度上保障されている、そういった点が非常に環境としては大きいのではないかなという感想を持ったんですが、今の点について。
○参考人(岡澤憲芙君) 二点あるんですが、一点目の政治教育の部分なんですが、これは北欧でほぼ共通しているんですが、非常に印象的な光景があります。
選挙になりますと、各政党が選挙小屋というのをつくるんです、街角に幾つも。そして、義務教育の生徒たちが先生に連れられて、さあ皆さん、今から何時間か自由にしますから、自分たちの判断でいろいろな政党に行って意見を聞いてきなさい、これは恐らく日本では信じられない風景だろうと思うんですが、そして各党ともその小学生や中学生が質問に来たときのために丁寧に答えるように、また非常にわかりやすいパンフレットも用意しているんです。
そうすると、小学生や中学生がいろいろ、なかなか憎い質問をしたりして、この政党は環境党なのに再生紙を使っていないよ、このポスターはとか、そういう質問をしていったり、そしてそれぞれの政党は選挙小屋にあめなんかを置いてあるんですね。ところが、幾つかの政党は、小さいときにあめを与えて虫歯になることを防ぐために私たちの選挙小屋ではあめは置いていません、それを有権者に対する一つのメッセージにしているという、やっぱりそれぞれが知恵と工夫で小さい有権者、それは何かというと、将来の有権者だし将来の負担者なんですからという、その辺の風景は日本とは随分違う。
日本で恐らくそういうことをやったらちょっと大きな問題になってしまうかもしれませんが、これはほぼ北欧共通しているんですが、選挙のときは一番民主主義教育にいいということで先生方が率先して生徒を連れていって選挙小屋を訪問させる、そしてその後生徒たちにディスカッションさせる、そうするといろいろな意見が出てくるという形だろうと思います。
それと、あと地方自治体の問題と大きな政府の問題ですが、スウェーデンの政府というのは非常にわかりやすく言えば、比較的小さな中央政府、とてつもなくでかい地方政府と考えればいいと思うんです。地方政府は非常に大きゅうございます。それは何かといいますと、県は医療、保健、健康と言いましたけれども、一番下の小さな単位はコミューンと言うんですが、そのコミューンレベルがそれ以外のことをほとんど守備範囲にしています。だから、学校教育であるとか福祉であるとか、そうすると福祉国家ですので基本的には公的な機関で福祉をカバーするということになりますから、非常に大きな地方自治を持ちます。そして、それは今度は女性が社会参画したいと言ったときに非常に入りやすかった領域でもあったわけです。
つまり、それまでは家庭内のアンペイドワークのボランティアとしてやっていた仕事を家庭内介護、地方公務員として、ペイドワークとしてプロフェッショナルな仕事に切りかえていったわけです。そして女性が社会参画の道を開いている。つまり、女性が社会参加するときの一番手っ取り早い方法としては、今まで在宅でやったアンペイドワークのボランティアの仕事をペイドワークの地方公務員の仕事の領域として確立した。そして、女性が社会参加するときに地方公務員になっていったわけです。そして、自立して経済的な単位となった人たちが自分たちの代表を送り始めた。だから、議員御指摘のとおりでありまして、大きな自治体というものをベースにして女性が社会参画した、だからパブリックセクターを中心として女性が社会参画した一つの典型的な例だと思うんです。
それの対比にあるのが、アメリカなんかが今度はプライベートセクターに女性が参画して、大きな企業の社長に女性がいるというのはアメリカ型であると思うんですが、北欧の福祉国家というのはどちらかというとパブリックセクターを一つの突破口として女性が社会参加していった。
それで、先ほど言いましたが、そういう動向が一つ定着すると今度税制で変えて、一九九〇年代から今度は税制を改革し、所得税の重心を地方税に置いていった。だから、ほとんどの有権者は、所得税と言えば地方税のことなんです。つまり、地方自治体に権限とともに財源もおろしていくという形をとっていったと考えるべきだと思います。
以上です。
○参考人(五十嵐暁郎君) 政治教育のことなんですけれども、岡澤先生は先ほど女子学生が政治・社会科学系の学部に来ないとおっしゃった。多分、早稲田のイメージだと思うんですけれども、私も早稲田の卒業生ですけれども、立教は全く違いまして、最近は法学部では女子学生がもう半数近くになっています。数年前は、我々は女子大の教師になっていくのかというふうに思ったぐらいです。
恐らく女子大は志願者が減って大変なんだろうというふうに思いますし、学部の中でも、これは一つの就職のことが頭にあって非常にそのことを意識するせいもあるんだと思いますけれども、法学部、経済学部の志願者がふえているんです。それが一つ。その意味では下地はかなり広がってきているというふうに思います。
それからもう一つは、福山議員のように若くして政治家を志される方もいらっしゃって、だけれども政治を志すというのは人生のいろんな経験が発端になってきていることだと思うんですね。いつ、何がきっかけになって政治を志すかというのは恐らく御本人たちにも予想もつかなかったことじゃないかと思うんです。そのときに、どういうふうにして議員になる、あるいは選挙に出て議員として活動するトレーニングができるかという問題だと思うんです。
特に、男性議員の場合は、いろいろなケースがあると思いますけれども、比較的今までの社会的な経験を生かすことができたり、あるいは組織というものに支持されることがあるかもしれませんし、女性議員の場合はそれがちょっと難しいかもしれない。その意味では、この間の統一地方選挙や、数年前から行われているようないろんな女性議員の進出のためのセミナーというものがもう少し広がってなきゃいけない。
これは大学についても言えることなんですけれども、少し宣伝ですけれども、社会人入試というのを我々の学部で日本で初めてやったわけです。そこに来る女子学生、といっても私よりも年齢の多い人もいっぱいいるんですけれども、そういう人たちはかなり地方議会議員選挙に関心を持っています。それをサポートしたり自身が立候補したり、それはなかなか意欲に満ちた光景であるんです。
こういう政界進出を支えるようなそういう教育の場というものが一つのポイントにもなるんだというふうに思います。
○福山哲郎君 もう余り時間もないので、まず五十嵐先生には、NGO、NPOが日本ではかなり今おくれているとは言いながら存在として大きくなってきておりまして、そのNGOやNPOのリーダーが地方議会に出ていくというようなことも多々見受けられるんですが、今のお答えと重なってくるかもしれませんが、NGO、NPOが政治的に出ていくときへの、広がるための何かきっかけとか方法とか、なかなかNGOのリーダーも自分が政治家になることに関しては抵抗がある方がたくさんいらっしゃって、それは今までの日本の政治がやってきた逆に負の遺産だと僕は思っているんですが、そこに対してどういったアプローチがあるのかということ。
岡澤先生にお伺いしたいのは、北欧の三カ国が女性が働きやすいと。それは、先ほど言われたパブリックセクターのことが中心になって働きやすいという話なのか、北欧ならではの何らかの特別な特殊性みたいなのがあるのか、ではなぜ民間セクターに関してはスウェーデンでは余りまだ進んでいないのかというようなことをもし教えていただければと思います。
○理事(南野知惠子君) 手短にお願いいたします。
○参考人(五十嵐暁郎君) 短くいたしますけれども、NGOのような特定のイシュー、問題、課題というものを地域の中で考えている、活動しているグループというものがネットワークをどれだけ築けるかというのが地方議会を変える一つのポイントだと思うんです。押し出していく力を持てるかどうか。
それからもう一つ、おっしゃったように、政治観の転換というもの、政治というものをもっと自分たちに身近なものであり、自分たちが担うべきものであるというような政治観の転換が、政治についての観念の転換が必要だというふうに思います。
○参考人(岡澤憲芙君) 北欧三国、四国と言ってもいいんですが、北欧で女性がパブリックセクターを一つの突破口にしたということは、やはり法律が成立すれば、一番それが実体化できるのはパブリックセクターの部分で、プライベートセクターの場合は、そうはいっても過激な激しい国際競争に勝つために、残業であるとか突然の出張であるとかという形でなかなか女性が参加しにくいという要素がある。ところが、パブリックセクターの場合には法律が制定するとそれがすぐ実体化するというメリットがありますので、そこが北欧でパブリックセクターで女性が参画していった大きな理由だと思うんです。
プライベートセクターは、今述べましたように、どうしても国際間競争に勝たないと、ああいう小規模な国というのは財源確保ができませんので、そうするとどうしても、ある程度の突然の出張であるとか休みの返上であるということになると、少し市民生活、家事生活、職業生活と地域社会の生活のバランスを欠く要素が出てくる。そのためにそれをどう確保していくかというのが今課題になっていると言ったとおりであります。恐らくプライベートセクターについては知恵と工夫を今から出していくんだろうというふうに思います。
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