【コラム】環境問題にずっと取り組んできた、その思いとは 

2022/05/26 コラム

【コラム】環境問題にずっと取り組んできた、その思いとは 

日頃より福山哲郎の政治活動を応援いただきありがとうございます。

私がライフワークとしてきた環境問題への取り組みについてお話しさせていただきます。

バブルの時代に気づいた地球環境の問題

私が大学を卒業し証券会社に入社をした当時はバブルが膨れあがっていく時代で、働きながらも「これはどこかで破裂すんじゃないか…」といつも考えていました。一方で政治は、その状況を見ながらあまり適切な手立てをせずに、政治と金が話題になっていた時代だったので”政治改革”が大きなテーマになっていました。しかし世界では1992年にリオ・デ・ジャネイロで「国連環境開発会議(地球サミット)」が開催され、72年にローマクラブ が発表した『成長の限界』が再び注目を集めていました。私は証券会社で当時の世界と日本を見たことで、地球環境の問題、南北問題、格差の問題がこれから肥大していくという危機感を強めていました。

「地球問題症候群」の分析に取り組む非政府系の研究団体。1972年に発表した「成長の限界」では地球の将来を約100年間にわたって推定し、このままの経済成長は不可能で、成長は限界に達すると分析した。

実際に世界で起きていることを知る


写真 / スリランカの社会運動「サルボタヤ運動」のリーダー・アリヤラトネ博士と

その後、政治家を志し通った松下政経塾では、学びのテーマを環境におきました。ちり紙交換のトラックに乗って牛乳パックを集め、静岡の製紙会社に持って行ってトイレットペーパーにリサイクルし「あなたが出してくれた牛乳パックはこうなりましたよ」と、家庭へ持っていくということもやっていました。またスリランカ内戦の当時、スリランカの山奥の村で飢餓に苦しんだり、教育を受けられない子供たちを支援する「サルボタヤ運動」に参加し、実際に世界で起きている状況を身を持って体験したことで環境問題と気候変動は、自分のライフワークにしないといけないという気持ちが固まってきていました。

大きな転換点となった京都でのCOP3


写真 / スリランカで子ども達と

1997年に京都議定書を採択した第3回気候変動枠組条約締約国会議「COP3」が開催されたとき、京都に世界各国のリーダーやNGOが集まりました。私は地元が京都ということもあり、現在の気候ネットワークのメンバーに入りました。まだ議員でもないのに、民主党(当時)のコーディネーターのような役割を無理やり作ってもらい、COP3のお手伝いをしていました。以来、若い頃はCOPには可能な限り参加するようにしていました。現地に実際に赴き、その時々の国際交渉の空気を直接肌で実感することが、その後の政策を考える上で不可欠と考えています。また、役人に任せるだけでなく、国民から選ばれた議員が、温暖化問題の国際交渉に対して常に目を光らせていることが重要だと考えます。

環境についての国会での活動


写真 / 2007年、議員立法として提出した環境配慮契約法の審議で、答弁に立つ福山

2005年には参議院環境委員長に就任し、なかなか実効性が上がっていない国内対策を一層強化するよう政府に求める「長期的な気候安定化を目指した取り組みの強化・拡充に関する決議」を採択しました。また、国等が電力購入や庁舎改修などの契約を締結する際に、価格だけでなく温室効果ガスの排出量も判断材料とする「環境配慮契約法案」を提出し、成立させました。2008年には、民主党の地球温暖化対策本部事務総長に就任し、中長期の国内排出削減目標、国内排出量取引制度、地球温暖化対策税の導入を日本で初めて明記した「地球温暖化対策基本法案」の取りまとめに尽力し、国会に提出しました。

日本は世界で率先して環境対策に取り組む必要がある


写真 / コペンハーゲン(デンマーク)で開催されたCOP15で政府代表の一員として記者会見に臨む福山

2009年に外務副大臣に就任し、政府代表団の一員として参加したCOP15では、日本を含む115ヶ国のトップが集まっての初の首脳級会合も行われました。当時のオバマ大統領、メルケル首相、サルコジ大統領など、各国の首脳との会議に、日本の総理とともに交渉に臨みました。緊迫したやりとりが続きました。気候と森林に関する「オスロ会議」では、森林減少及び劣化に由来する排出の削減の分野で日本が積極的に貢献していく考えを発信しました。内閣官房副長官在任時に注力した再生可能エネルギーの固定価格買取制度は導入から10年超が経過し、現在は原発約25基分の設備容量が認定されています。また、2020年11月には、参議院本会議で、「気候非常事態宣言決議案」の趣旨説明を行い、全会一致で採択されました。

誰かがやり続けないと、課題は改善することはない

そうした活動の一方で、気候変動の問題は私が国会議員やっている20数年間で前進しているかと言えば現実には”一進一退”です。2050年にCO2をゼロにするというのが可能な状況かと聞かれれば、それには私は懐疑的で、今の日本の政府が積極的だとは思えないからです。CO2をゼロにするには社会のパラダイムを世の中が混乱しないように変えないといけない。こういった課題に対して私はまだまだやり足りていない、「道半ば」というより、未来に向けては「まだまだ先が長い」という思いです。でも誰かが現場を見てやり続けないと、言い続けないといけない。未来を考えたときに本当に手遅れになる。そして現在の気候変動問題はまさに”待ったなし”の状況です。IPCCを含め、科学はもう気候変動とCO2との関係について結論を出しています。あとは政治が決断し、実行するしかありません。

次世代に責任を持つことが政治の役割

私は政治家を志した時から、次世代に責任を持てる「生態系を守ることと経済成長の調和」が重要と考えています。未来の子どもたちに美しい地球を継承したいとの思いから、初当選から2009年まで10年以上、国会ではずっと環境委員会に属していました。「今は経済が大切だから、地球環境のことは次の世代が考えればいい」と言った瞬間に、政治というのは非常に無責任なものになります。今の地球環境を改善するための理想と2050年にターゲットを絞った長期的なプランを作り、かつ現実的にシステムを変えていく。大変な作業ですが、だからこそ政治の役割であると考えています。